2009/11/08/Sun
料理はセンスだ。
文字通り「塩梅」がうまくゆくか、あれとこれとを混ぜればこうなる、とうまく頭に描けるかが料理人の良し悪しを決定するのである。
そういう意味ではわたくしなぞはまったくもって料理オンチの最たるものである。したがって食事は基本的に外食ということになるのであるが、たまには自分で作るのもオツなものである。
近所のスーパーでかぼちゃがあったので、これをこれ料理してみんとす。
もちろん、適当に切って煮るだけ。男の料理である。調味料はナシだ。
しばらく煮込んでいたのだけど、見るからにまずそうである。
いつも感心することだが、僕はかならずとんでもなくまずいものを作ってしまう。天稟というのはこういうことをいうのだらう(?)。要するに、先述の「塩梅」がよろしくないのである、センスがまるでないのである。
せっかくのかぼちゃがいかにもまずそうに煮込まれているのを目の当たりにして、わたくしは不意に「かぼちゃスープが食いたいなぁ」と思った。
もしやこれが料理人のひらめきなのか。ここで予定を変更して、ただ煮ただけのかぼちゃをパンプキンスープに変化させたならば、わたくしにも料理のセンスなるものが備わっていることになるのではないか。そんな気がした十五の夜。
もっとも、そんなことをいっても、作り方などとんとわからぬ。
とにかく黄色のスープだということは間違いないので、急遽、スーパーでコーンスープを買ってきた。煮たかぼちゃにコーンスープを投入する。

煮ること、10分。出来た。

…………。
パンプキンスープではないものが出来た。
2009/10/14/Wed
■箱根の関所
昔から箱根は重要な関所として、通行人を厳しく取り締まっていたことは周知の事柄でしょう。
江戸時代では、関所破りは死刑に処されるほどの重罪だったようです。
余談ですが、不義密通をなした者(男女とも)も死刑に処されました。なんとなく厳しいような気がしますが……。そのあたりの悲劇を描いたものとしては、溝口健二監督「近松物語」がよく知られております。他にも金子十両以上を盗んだ場合も死刑でした。
現代の感覚とはいささか異なっているところもありますが、とにかく関所破りは相当イケナイことだったわけです。
■手形
関所を通るには、当然手形が必要です。それでは手形というのは具体的にどういうことが書かれていたのでしょうか。ちょっと見てみましょう。

次のように読むことができます。曰く、
「松平大膳大夫家来之者四人、内四方髯、壱人従江戸長門國差越候条、御関所無相違勘過被仰付可被下候。以上。(以下省略)」
「ヒゲ面の男が四人」だとか、人相にまつわる情報がかかれているようですが、これだけの情報ならば、いくらでもだませる気がしなくもありません。
関所を通るのは人間だけではありませんでした。

「馬五疋」と見えます。馬にも手形が必要だったということでしょうか。面白いもんですね。
なお、出産間近の女性は関所を通れなかったようです。理由はわかりますよね。
2009/10/12/Mon
スキャナを買った。
といっても、一万円もしない安いヤツだ。
しかしスキャン機能に文句はないし、コンパクトだし、十分使用するに足りる。
それで、早速画像を取り込んでみた。
谷文晁画・菅茶山賛「山水人物図」である。

まずは画の方に目を向けてみよう。
FC2ブログは500kb以上の画像はアップできないので少々リサイズしたから、いささかわかりづらいが、画面右下に一人の男性が立っているのがお分かりいただけるであろうか。なにやら上の方を向いているようである。おそらく今から山をよじのぼろうというのだろう。
画面中央左には、塔のようなものが樹木の間から姿をあらわしているので、男性はこれからこのお寺まで行こうというのだろうか。画面中央は霞がかっていて、仙界めいた雰囲気を醸成している。
この画に対して茶山は次のような漢詩を書き付けている。わたくしに書き下した後、拙訳を提示しておく。
吟叟登何寺 吟叟 何くの寺に登るならん
飛甍樹杪開 飛甍 樹杪に開く
不知雲霧窟 知らず 雲霧の窟
更置幾楼臺 更に幾く楼臺を置くかを
老詩人はいずくの寺に登ろうとしているのだろう。
高い甍が梢の合間に顔をのぞかせている。
雲や霧に包み隠された岩屋に、
さらにどれほどの楼台が建っていることやら。
「吟叟」とはいうまでもなく、画中の男性を指す。やはり茶山も、この男性がこれから山を登ってどこかの寺に赴こうとしているものと解している。
ここで普通ならば、男性が目指す先を画面中央左側に見え隠れするお寺に設定するところ。
しかし茶山はこのようなありきたりな解釈では満足しなかったようである。茶山は画面中央部分が雲霧にとざされていることに着目して、今は見えないけれど、霧が晴れたらもしかしたらそこに寺院が建っているもしれないと想像する。
そして男性はそこに向かっているのかもしれない、という含みをもたせているのである。
このように画と賛とは「不即不離」の関係にあらねばならず、画では言い表されていない内容や視点を、そこに書き付けられた漢詩文が補うというのが、通例なのである。この一幅の画軸を観る者は、画だけでなく、そこに書き付けられた題画詩をも熟読して、画と賛との関係性を吟味しなければならない。
こういう営みこそが題画文学の醍醐味なのであるが、こうした世界を十全に味わうには、漢詩漢文の読解能力が求められる。
「絵画を勉強する者は漢文が読めず、漢文を勉強する者は絵画を解さない」というのはよくいわれることだが、われわれは美術史家だとか文学研究者だとか、専門意識にとらわれすぎているのではないだろうか。
なにより、こうした豊穣な藝術世界に足を踏み入れるだけの漢詩漢文の読解能力というものを、もう少し高校生の時から鍛えておかなければいけないように思うのである。
しかし現在、白文を独力で読み下す能力を持った国語科教師が、今の日本に一体何人いるだろうか。
2009/09/30/Wed
菅茶山は生涯の大半を故郷の神辺で過ごしたが、旅行にはよく行っていたようで、『黄葉夕陽村舎』をひもとくと、道中に見た景色やその土地の風俗を詠じた作品がたくさん確認できる。このたびはそのなかから二首を摘むことにしよう。その際、俳句と漢詩との関係にも留意しつつ鑑賞する。
松島路上、所見 菅茶山
田洫浮舟大似萍 田洫の浮舟 大いさ萍に似たり
女兒挽得幾艘輕 女児 幾く艘を挽き得て軽し
尾装穉稲首装餉 尾には穉稲を装ひ首には餉を装ひて
自在東西南北行 自在に東西南北に行く
田んぼをつなぐ水路に浮き草くらいの田舟を浮かべた女の子は、何艘もの舟をあやつりながら実に軽快。船尾には早苗を載せ、船首にはお弁当。あちこち田んぼを棹さしまわる。
田舟は、早苗や肥料、弁当などを積んでぬかるんだ水田の中を移動するためのもの。早苗や弁当を届けることで田植えに忙しい一家を手伝う女児の姿は当時にあっては恐らくいたるところで見られたに違いない。茶山が瞠目したのは、農村での生活ならではの、水路を畦道代わりにして、何艘もの舟をあやつりながら処々に早苗や弁当を届ける女の子の巧みな舟捌きにあろう。
道の辺でふと目にした農村風景は、生涯を田園に囲まれた郷里神辺で暮らした茶山にとって、何気ないものに違いなかったが、同時に愛すべきものでもあった。
後代、苗舟の軽快な歩みを「田の上を小舟行くなり梅雨出水」とわずか十七字に凝縮した青木月斗がいかほど茶山詩に親しんでいたかは不明であるが、いずれにしてもこの詩には俳諧のごとき嘱目性が備わっていよう。そもそも田舟から幾分かの詩情を読み取るのは俳諧の世界ではさほど珍しくないようで、「子は裸 父はててれで早苗舟 利牛」(『炭俵』上巻)や「稲舟も引くや野菊の溝づたひ 許六」(『蕉門名家句集』)といった句などにも徴しうる。
鴨方に赴く途中 菅茶山
女兒傾筺采新橦 女児 筺を傾けて新橦を采る
雨後寒生逈野風 雨後 寒は生ず 逈野の風
知是授衣期已近 知んぬ 是れ 授衣 期 已に近きを
村家竹裡響綿弓 村家 竹裡 綿弓響く
女の子がかごを傾けて綿花の初収穫。雨上がり、肌寒の風が平野に吹き渡る。そうか、そろそろ冬着の準備をする季節になったのだ。竹藪のなかからは家々の綿打ちの響きが漏れ聞こえてくる。
われわれの目前に、つま先だって綿花を摘み採ってゆく少女の懸命な姿を現出させえた茶山の技倆もさることながら、ここでは農村で暮らすひとびとに向けられる茶山の温かいまなざしにも留意しておきたい。
芭蕉もまた竹藪から漏れ聞こえる綿打ちの響きに心を癒したひとりで「綿弓や琵琶に慰む竹のおく」(『野ざらし紀行』)と綿弓の響きを琵琶のそれに擬えている。否、「綿弓や窓に入日の影寒き」(『もとの水』)とも詠じた芭蕉には、綿打ちが冬の到来を告げる景物だという発想さえも備わっていた。茶山の詩嚢には芭蕉の句が蓄えられていたのかもしれない。そういえば茶山の父 樗平は『三月庵集』(寛政六年刊)という発句集を残した、芦丈という俳号をもつ俳人でもあった。茶山自筆のその跋文によれば、芦丈が模範にしたのは「芭蕉の翁のたはやぎぶり」だという(「たはやぎぶり」は「たおやぎぶり」―物柔らかな様子の意―のことか)。「綿弓をまたうち出す霜夜かな」という芦丈の句は芭蕉と茶山とを繋ぐことになるのやもしれない。なお『もとの水』所収の芭蕉句は現在では偽作だとされいるが、茶山在世時ではどのように認識されていたのか、浅学非才にして知らない。
2009/09/23/Wed
江戸時代の漢詩漢文のみを扱った専門雑誌「江戸風雅」が今年十一月に創刊いたします。
公式ブログも設立されました。興味のある方はぜひともご入会ください。
詳しくはこちらまで。↓↓↓
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